鎌倉散策、鎌倉駅から「源頼朝の墓」経由ウォーキング

鎌倉ウオーキング

今回は、鎌倉駅から「源頼朝のお墓」を経由して約2時間あまりのウォーキング記録です。

この時は「源頼朝のお墓」がメインの目標でしたが、その他にもいくつかのお寺、神社を回って歩きました。

鎌倉駅→妙隆寺→宝戒寺→源頼朝の墓→荏柄天神社→鎌倉宮→永福寺跡→瑞泉寺→浄明寺→報国寺→杉本寺→鶴岡八幡宮

 

日蓮上人つじっ説法跡→妙隆寺→宝戒寺

鎌倉駅から途中、日蓮上人辻説法跡を見て歩き、妙隆寺を過ぎて宝戒寺につきます。

鎌倉駅から歩いて約10分ほどですが、通りは車の往来が多く、ちょっと気を付けながら歩いていないと見落としがちですが途中に、日蓮上人が辻説法を行った跡をみることが出来ます。

妙隆寺は、日蓮宗のお寺で日英上人の開山とされています。無病・長寿の寿老人を祀っているお寺です。

第二世の日親上人は日蓮上人の教えにならい、当時の足利幕府に日蓮宗への改宗を求めたが、逆に捉えられ拷問を受け、焼け焦げた鍋を被せられた、とは、なんとも酷いことをしたものですね・・

そのことから「鍋かむり日親」と言われているそうです。

また、このお寺で寒い中、激しい修行をされたことでも有名だそうです。

その「鍋かむり日親上人行法御池之霊跡」があるそうです。

更に、そのまま小町大路を真っ直ぐ歩き続け、宝戒寺に着きます

宝戒寺は、病魔退散・財福の神様と言われる毘沙門天が安置されています。

ご本尊様は子育て経読み延命地蔵様で、鎌倉二十四地蔵尊の第1番とされているそうですが、

その他、多くの仏様がいらっしゃるということです。

また、花の名所としても有名で、春夏秋冬と四季折々の花を観ることができます。

特に秋のお彼岸には境内中が白萩が咲き、萩寺という名でも親しまれているそうです。

残念ながら今回はこの白萩を観ることはできなかったので、今度の秋には事前に調べてぜひ見に行きたいものです。

宝戒寺は、北条氏が滅んだあと、北条氏の霊を弔うため後醍醐天皇の命により建立されたとのことです。⇩

源頼朝の墓

更に10分ほど歩いて、ようやく「源頼朝の墓」に到着です。

👆 ちょっと長い階段を登ります

なかなか鬱蒼とした空間で、この日は特に風も強かった為、なおのこと木々が揺れて、ちょっと。。。神妙な気持ちになりました。

北条義時のお墓も一緒にあります。

源頼朝は落馬が原因で53歳という若さで亡くなったとの話ですが、もし落馬事故がなければ、いくつ位まで生きれたか、また、歴史に変化あったのか・・・

結局、その後は北条氏が実権を握っていきますが、頼朝は約20年あまりも流人として耐えながら暮らし、人生後半に平家を倒し鎌倉幕府を開いた、新しい武家社会をつくった、、凄い人ですよね、、

当時は日本も世界も、みんな兄弟でも平気で殺しあったりが当たり前の世だったようですが、私はこれまで源義経ファン(判官びいき)で、頼朝を好きになれなかったのですが、今回、改めて鎌倉を歩き、「鎌倉殿の13人」がきっかけで、頼朝と北条時頼が何の後ろ盾もない流人(頼朝)と、一地方の小さな豪族の次男坊が、時代を大きく変えたということは凄いことだ、と、頼朝のファンにもなってきています( ´艸`)

この後は、すぐ近くの荏柄天神社・鎌倉宮に向かいます。

荏柄天神社→鎌倉宮→永福寺跡

 

荏柄天神社は、主祭神は菅原道真で、鎌倉で最も古い神社で、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに日本の三大天神の1つです。

天神とは学問の神様として有名な菅原道真のことで、頼朝は幕府の鬼門の守護神ととして荏柄天神社を崇敬したとのことです。

こちらもちょっと長い階段を登ります

 

こちらもちょっと長い階段を登ります

数人の若い人達が、真剣な面持ちでお参りしていました、親子連れでお参りしている人たちもいました、受験祈願でしょうか・・ちょっと微笑ましく感じながら眺めていました。

境内には漫画家清水崑の「かっぱ筆塚があり、石碑の裏の文字は作家川端康成が毛筆で文字や絵をかいた(揮毫した)とのことです。

かっぱ筆塚

⇩は、1989年に完成した絵筆塚

👆 絵筆塚は漫画家154人の漫画が描かれています。

次に、すぐ近くに鎌倉宮があるので立ち寄ります。

鎌倉宮の祭神は、大塔宮護良親王(おおとうのみやもりよししんのう)で、1969年に明治天皇の勅命により創建されたとのことで「大塔宮」とも呼ばれています。

護良親王は11歳で比叡山延暦寺の大塔入に室したことから大塔宮と称されたそうです。

鎌倉幕府が滅び、後醍醐天皇が天皇親政を復活し護良親王は征夷大将軍にまでなるも、足利尊氏と対立し捉えられて鎌倉で討たれたが、その際、捉えられ幽閉されたという土牢が本殿の裏に残されています。

 

👆「亀若丸」

健康と長寿を願って下にある亀を撫でて、なでたら折り鶴ひとつどうぞ、と、亀と鶴で健康長寿ということです、可愛いです (*^_^*)

 

 

👆鎌倉宮のおまもり「獅子頭守り」

七五三のお祝いに子供の成長を見守りながら、よくないもの、いらないものを食べてくれる「子供獅子頭守り」で可愛い獅子頭です。

 

👆 拝殿の右奥にある「身代わり様」

護良親王の身代わりになって親王の鎧を着て身代わりになったとのことです。厄除け、病気平癒を祈願する場所となっています。自分の身体の悪い部分と同じ場所をさすることで、身代わりになって病気回復に繋がると言われています。

とても優しいお顔の武将です。

⇩ 役割り石

石のかけらに息を吹きかけ、役割り石に当てて厄を祓うそうです。

次に5分ほど歩いて、永福寺跡(ようふくじあと)に向かいます。

永福寺跡(ようふくじあと)は源頼朝が建てた寺の1つです。

1405年に焼失していますが、周囲の山林や谷戸なども含めて約88000平方メートルの敷地が史跡に指定されています。

⇩ 当時の建物を観たかったです

二階堂、薬師寺、阿弥陀堂が立ち並び、堂の前には池を配置し浄土式庭園が広がっていたそうです。

瑞泉寺

永福寺跡を過ぎて、天園ハイキングコース瑞泉寺口通って、瑞泉寺に向かいます。

瑞泉寺入口から真っ直ぐ緩やかな階段を登っていきますが、その途中、左右に見られる緑の木々がとても綺麗で森林浴?・・とても気持ちが良いです。

 

本堂裏には岩盤を削りだした岩の庭があり、国の名勝に指定されています。

 

この庭は書院庭園の起源ともなったそうです。

裏山には「お塔やぐら」「瑞泉寺やぐら群」があります。

この後は、いったん来た道を戻り、浄明寺、報国寺、杉本寺を過ぎて鶴岡八幡宮→小町通りをぬけて鎌倉駅に到着し帰宅したのです、が・・

しかし、この瑞泉寺からの戻り道で、またもや山歩き感満載の冒険をして、いきなり浄明寺の近くに降り立ったのです。

瑞泉寺を出てすぐ近くに天園ハイキングコースの入り口があり、そこから山道を歩いたのですが、これが結構、大変な道でポールを持参しなかったことをつくづく後悔しながら歩いていました。

そして浄明寺近くの一般道に降り立ったのです。

👇 なかなかの冒険でした(;’∀’)

さすがにここまで歩いて約2時間、この後の浄明寺・報国寺・杉本寺をゆっくり観ることはきつくて、今回はただ通り過ぎるだけにして鎌倉駅を目指しテクテク歩いて帰ったウォーキングでした(;^_^A

まとめ

今回の1番の目的地は源頼朝の墓経由で約2時間予定のウォーキングでした。

永福寺跡がかなり広くてゆっくり池の周りを歩いたり、ちょっとベンチに座ってお弁当広げたりと、とてもゆったりしたウォーキングでした。

この時は秋でしたが、春に向けてどのお寺もお花が綺麗に咲き乱れる季節には、是非、お弁当や水筒を持って出かけてみて下さい。

私達のように、ちょっと短い冒険(山道や切り通し)を楽しむのであれば、必ず手袋とポール、歩きやすいスニーカーで行くことをお勧めします。

 

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